障害児の母より。介護は苦しいことばかりじゃないよ!(相模原事件で思うこと)

相模原の障害者施設の殺傷事件から2週間が経とうとしてます。
あの朝、声も出ずだたテレビのニュースを見ていました。
連日犯人についての報道がテレビから流れていました。
犯人が周囲の人に話していたとも言われる「障害者がいなくなればいい」「不幸だ」「安楽死させればいい」「税金の無駄遣いだ」という発言。
これって今回の犯人に限った特殊な考え方ではなく、世間でも耳にしたりネットでも目にしたりするものです。
世の中のごく一部の人は心の中で思っていることなのかもしれません。

娘は出産時のトラブルで低酸素性脳症となり、重度の脳障害を負いました。
検査結果に一喜一憂し、脳のダメージがかなり大きい、という医者からの説明も「どうか夢でありますように」と願っていました。
障害がどの程度残るのか、将来この子がどんな姿になるのか、この子は将来世間から障害者っていわれるようになるのか。
そしてこの子を抱えた生活がどんなことになってしまうのか。
そんな悲嘆にくれた毎日でした。
「出来る限り障害が残りませんように」「奇跡でも起こって健常児のように育ちますように」
そんなことばかり思っていました。
私自身、「障害を負う」ことにたいして否定した日々を過ごしていました。
あわよくば、障害者と呼ばれないくらいに育ってほしい、とそんなことを思っていたのです。
1歳2歳と大きくなるにつれ、だんだんと健常児と明らかな発達の違いが外見上でもわかり、日々てんかん発作もあることから、外出時の他人から見られる視線や心無い言葉にも何度となく傷ついたりしていました。
けれど月日の流れは、そんな不安や悩みを大きくするのではなく私を強くしてくれて、楽にしてくれる時間でもありました。
その月日で気づいていきます。娘は娘で、なんにも変わりがない。菩薩のような笑顔、気持ちよさそうな寝顔を見て私はかわいいと思う。
カナが声を出して笑えば、自然と私も笑っている。まわりのみんなもつられて笑っている。
それでいいじゃないか、って思えるようになりました。

障害者って不幸なのでしょうか?
障害者を持つ家族は不幸なのでしょうか?

犯人が大島衆議院議長に宛てた手紙にある「障害者の親が疲れきっていて、不幸だ」という考えですが、この言葉で思い出したことがありました。
娘がまだ小さい頃、大学病院へ通院していた時、小児科外来の待合で見た光景です。廊下の向こうから大声が聞こえました。
寝転がって言葉にならないことをわめいてる小学生くらいの男の子の腕を掴み、引きずるようにして歩いている母さんがいました。
お母さんの表情は疲れてやつれていて、髪はボサボサになり服もよれよれになっていました。
子供の方を見もせず、無表情にただ前をむいて歩いていたのです。
「障害児をもつ、育てるということはこういう事なんだ」その頃、まだ赤ちゃんとさほどかわらない世話ですんでいた私には、衝撃的な光景でした。


こうした苦労を親がたった一人で抱え込んでしまい、誰の助けも支援もない状態だと確かにそれは親も子も「不幸なこと」なのかもしれません。
その姿を見て 不幸だから障害者はいなくなればいい、、ではなくて、
不便な生活をどう支援していけば子供も親も幸せに感じていけるか、私はそれを考えていきたいです。
親だけでなく、学校や病院、施設、ヘルパーさん、訪問看護師さん、、、家族、友人たくさんの人たちのサポートがあります。


そして、不幸かどうかは他人にはわからないことです。
実際、娘が私と同じように幸せに感じているかどうか、わからないことです。
けれど、毎日快適に楽しく心地よく、笑って明るく過ごしていくことで、娘も幸せだと感じてもらいたい、という願いを込めて生きています。

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KAIGOO!〜カイグー!〜

出産時の事故により脳機能障害(脳性麻痺)を持った娘を育てながら、支援学校に勤務する看護師ママです。「介護を楽しく快適に!」をモットーに、医療的ケアのこと、日々のアイデアや旅先でのヒントを発信していきます!

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